メディアと向き合ってきた浅倉和博のPR人生ストーリー
伝える力の原点を探して ~広報PRとの出合いと再発見~
広告ではなく、PRに惹かれた理由
大学ではジャーナリズムを専攻していました。コミュニケーションやマスメディア、広告、
PR(Public Relations)、映像表現などを幅広く学びながら、言葉や映像の「伝える力」に関心を持ちました。
卒業論文は「映像とことば」というテーマで、新藤兼人監督の『裸の島』というセリフのない映画を題材に。言葉を使わず映像と音楽だけで伝えるという手法に強く惹かれ、伝えるとは何かを深く考えるきっかけになりました。
就職活動ではテレビ局や新聞社を志望しましたが叶わず、もう一つ関心のあったPRの世界に進むことを選択。広告よりも「PR」に興味を覚えたのは、広告にはどうしても “作られた印象” があると感じていたからです。広告のように伝えたいことを一方的に発信するよりも、メディアという第三者を介して社会に伝える――その “信頼の構造” に惹かれたのです。
当時は、新聞・雑誌・テレビといったマスメディアの影響力は絶大で、企業にとって広報PRは当たり前の経営活動でした。すでに大手・中堅企業では広報PRの体制が整っていて、企業がPR会社に依頼してパブリシティを展開するのはごく普通のことでした。
しかし、「広報」や「パブリシティ」という言葉が一般にはまだなじみの薄い時代。「PRマンは黒子(黒衣)である」と言われていました。そのせいかPRを知る人は業界の内側だけで、「社会にPRを伝える」という発想自体があまりなかったように思います。
当時は「PR=裏方仕事」という捉え方が強く、一般社会に広報の役割を説明する文化自体がまだ育っていませんでした。
時代が変わっても、変わらない「伝える本質」
あれから40年以上が経ち、時代は大きく変わりました。インターネットの普及、SNSの登場により、誰もが情報を発信できるようになりました。PRと言えばWEBマーケティングやSNS運用を指すようになっていきました。多くの企業がSNSを活用し情報発信に取り組んでいます。
けれどその一方で、昔からあるマスメディアを通じた広報PR――つまり、第三者を介して社会の信頼を得るという手法――は、いまも十分に効果を発揮するにもかかわらず、その存在自体が意外と知られていないことに気づいたのです。
SNS全盛の現在だからこそ、「公的な視点で伝える」重要性がむしろ増していると感じています。
また、ここ10年ほどの間に広報PRの講座や書籍が急増し、PRを仕事にする人も多くなってきました。それはつまり、PRという考え方がようやく社会に浸透しはじめ、知っていれば活かせる力だと気づく人が増えているということ。
その流れを見ながら、私は思いました。「PRの力は、もっと多くの中小企業や個人事業者に役立てられるのではないか」と。とくに、広告費を充分に使えない企業ほど “信用” を得るための手段としてPRの価値が高いと感じています。
マスメディアの報道に対して「マスゴミ」「オールドメディア」といった言葉が飛び交い、情報の信頼性そのものが疑われるようにもなっています。しかし、SNSやWEB上の情報は本当に信頼できるのでしょうか。感情的な投稿や断片的な情報が拡散し、フェイクニュース・動画が出回り、誤解や偏りを生むことも少なくありません。
私はそこに、あらためて広報PRの本来の役割があると感じています。広報とは、単に情報を発信することではなく、事実を正確に、そして丁寧に伝えること。
それはマスメディアを通じてであれ、自社の発信であれ、社会との信頼を築くための営みです。そうした姿勢を取り戻し、「誰が、どんな意図で、何を伝えるのか」という視点を共有できる社会にしたい――それが、私が再びPRの世界に戻った理由でもあります。
回り道の中で見えたもの ~迷いと模索が教えてくれた“伝える”の本質~
PRから離れて見えた、違和感と問い
大学時代、私は広告よりもPRに惹かれました。「誇大広告」という言葉があるように、広告はどこか作られた印象があり、PRはもっと “現実を伝える” 仕事だと信じていたからです。
ところが、PR会社で何年もやっていくうちに、PRという仕事に少し違和感を抱くようになりました。実際にPR会社で働いてみると、やっていることは企業や商品の “売り込み” に近い部分も多い。広告との違いが見えにくくなり、「自分が本当にやりたかったことは何だろう?」という思いが次第に募っていきました。
PR会社を離れたあと、私は一度、まったく違う世界を見てみたいと思いました。当時のPR会社は朝から晩まで仕事に追われ、土日も地方出張やイベント対応なども多く、他の業界や考え方に触れる時間はほとんどありませんでした。だからこそ、「PR以外の世界を知ってみたい」「まったく新しいことに挑戦してみたい」という気持ちが強かったのだと思います。
退職後、妹の夫の紹介でネットワークビジネス(MLM)を知り、それまでまったく知らなかった “人とのつながりを軸にしたビジネス” という世界に出合いました。何社かに関わってみたものの、現実は思っていた以上に厳しく、組織構築や販売活動の難しさを肌で感じました。けれど、この経験を通して、信頼関係の上に成り立つビジネスという視点を得られたのは、のちにPRの本質を捉え直すきっかけになったと思います。
その後、健康関連の事業にも関心を持ちました。日本成人病予防協会の通信教育講座で半年ほど学び、健康管理士一般指導員の資格を取得。健康管理、生活習慣病、メンタルヘルス、栄養学、その他健康知識・生活環境などについて体系的に学ぶ中で、「人体の精密さ」に対する興味が深まりました。資格を活かしてヘルスケア事業の代理店ビジネスに挑戦しましたが、1年半ほどで撤退することになります。
また、心理学や自己啓発の分野にも興味を覚え、日本メンタルヘルス協会の心理学講座、VOICE社の「ソース」ワークショップ、日本創造教育研究所の「可能思考研修」などにも参加しました。
回り道の経験が教えてくれた “伝える” の正体
それらの学びを通じて、「人を動かすのは理屈ではなく感情である」という実感を得ました。こうしたさまざまな経験を積み重ねる中で、自分が本当に価値を提供できる分野はどこかを考えるようになりました。それまでの試みは、いずれも思うような成果を上げられたとは言えません。けれど、どの経験にも共通していたのは、「人に伝える」「人の心を動かす」という要素でした。
やがてインターネットが急速に普及し、ビジネスの形が大きく変わり始めました。これからは個人でも情報を発信できる時代になると言われました。
私もインターネットビジネススクールを受講し、「自分の得意分野を活かして商品をつくる」ことをテーマに学びました。そこで選んだ商材が、飲食店経営者向けの「マスコミ活用法」通信講座でした。結局のところ、自分が長年関わってきたPRに戻ってきたというわけです。
教材は一定の反応がありました。ただ、よく考えると自分自身が飲食業界の実績を持っているわけではなく、このまま続けても説得力がないと思い、通信講座は一時中断。スクールの講師からは「売れたのになぜやめるの?」と不思議がられましたが、自分の中では納得できませんでした。結果が出ないというよりも、「何かが違う」――そんな感覚がありました。
そこで、飲食業界の実績づくりもかねて地元飲食店の宣伝・集客・販促などを無償でサポートすることにしました。こうしてある程度の実績ができたところで、通信講座を再開。結局、通信講座は2~3年続けましたが、受講者とのやりとりや指導の難しさを感じて終了しました。
今思えば、教える側としての力量不足や、受講者が日々の店舗運営に追われて行動しきれなかったことなど、いくつもの要因があったと思います。それでも、「やりきれなかった感」は今もどこかに残っています。ただ、この “やりきれなかった感” が、後の「PRをもう一度やり直したい」という思いに火をつけることになります。
もう一度、PRを信じて ~新しい時代に学び直した「伝える力」~
不安の中で選んだ「再出発」
もう一度PRの世界に戻ると決めたとき、正直なところ不安のほうが大きいものでした。PR会社退職後に長いブランクがあり、かつてのような感覚で通用するのか確信が持てなかったからです。
飲食店向け通信教材の販売を2~3年でやめたあと、次の道を模索していた私は、あるPRパーソン養成講座に参加しました。その講座はPRの手法を教えることに重きが置かれており、「どうやって顧客を獲得するか」という実践的な部分までは踏み込んでいませんでした。
異業種交流会やセミナーなど人が集まる場への参加を勧められましたが、私は営業が得意ではなく、実際に参加してみても、そこに集まるのは自分のビジネスを売り込みたい人ばかり。お互いが「売り手」同士で、なかなか信頼関係を築ける場ではありません。結果的に、思うような成果を上げることはできませんでした。
それでも、「PRの力をもう一度信じたい」という気持ちは消えません。このままでは終われない――そう思いながらも、どこか手がかりをつかめずにいました。そんなときに出合ったのがPR塾でした。
学び直しの先に見えた、現代PRの可能性
PR塾のウェブサイトを見たとき、目に留まったのは「お仕事紹介あり」という一文。「これなら自分のようなタイプでも顧客開拓の苦手を補えるかもしれない」と思い、個別相談に申し込んでみました。
ところが、実際に話を聞くと「現在は案件紹介を行っていない」とのこと。一瞬、落胆したものの、受講生の中には未経験からクライアントを獲得している人も多く、どうやっているのかを学ぶだけでも意味があると感じて入会を決めました。
PR塾では、これまでの知識や経験を整理しながら、現代のPRスタイル――SNSやWEBとの連動、そしてメディアを巻き込む戦略的な設計――を学び直しました。在籍中には出版関連のプロジェクトにも関わり、改めて「情報の力」「伝えることの責任」を実感。自分がPR会社にいた時代には体験しなかった発想に触れることができました。
また、女性受講生が多い環境の中で、行動力とエネルギーにあふれる姿にも刺激を受けました。「スキルを学びたい」「自分の力で仕事をつくりたい」と前向きに動く人たちが大勢いて、PRという仕事の可能性を改めて感じたのです。
やがて、クラウドソーシング経由で企業案件を受けることが決定。さらに、中小企業経営者との交流会参加を通じて、以前から話を進めていた別の企業とも契約が決まりました。それは、PRパーソンとしての “再出発” を意味する仕事となりました。
※価値観のすり合わせとしてのヒアリングです
PRを、ライフワークに ~人と社会をつなぐ架け橋として~
年齢を重ねても、私の関心の中心はずっと「人と社会をつなぐこと」にあります。PRという仕事は、単にメディアに取り上げてもらうための活動ではなく、企業や経営者の “想い” を外の世界へと橋渡しするための、対話のプロセスだと考えています。
中小ベンチャー企業のなかには、優れた商品や技術を持ちながらも、その価値が社会に十分伝わっていないケースが数多くあります。私は、その「伝わっていない魅力」や「埋もれている可能性」をすくい上げ、適切な形で世の中に届けるお手伝いをしていきたいと思っています。
PRの世界を知ってから、気づけばもう40年以上が経ちました。その間に、メディア環境は大きく変わり、発信手段は新聞・雑誌・テレビから、SNSや動画メディアへと大きく広がりました。しかし、人の心を動かす源泉は、時代がどれほど変わっても “伝える力” そのものです。そこに変わりはありません。
これからの目標は、単にPR業務を請け負うだけではありません。広報の重要性をまだ知らない中小企業や個人事業主に対して、「PRという選択肢があること」「正しいPRは必ず事業の力になること」を伝えていきたい。そして必要であれば、実務だけでなく “考え方” の部分も伝え、伴走できる存在でありたいと考えています。
また、これまで積み重ねてきた知識や経験を、若い世代へ引き継ぐことにも関心があります。磨いてきたスキルを閉じ込めておくのではなく、地域や社会に少しでも役立てるという、次のフェーズに入れればと思っています。
フリーランスという自由で責任ある働き方は、私の性格にも合っていました。一社一社の想いに丁寧に向き合い、必要に応じて専門家と連携しながら、無理のない等身大のPRで結果をつくっていく――。そんなシンプルで誠実なスタイルを、今後も大切にしていきたいです。
私にとってPRは、仕事であると同時にライフワークです。これからも、人と企業と社会をつなぐ ‟架け橋” として、静かに、しかし確かに、歩みを続けていきたいと思います。
